今日は日曜日。❀❀フェス。
昨日の今日で♡さんに出演させるなんて
急すぎだけど
これはもうずっと前から決まっていたこと。
俺と松浦さんの間では。
♡さんの芸名も決まって
松浦さんはちょこちょこ♡さんを
SNSに載せるし
今日のLIVEが終われば
最終的に口説きにかかるんだと思う。
今月いっぱいに返事をくれるように
頼んであったし。
♡さんはどうするつもりなんだろう。
もちろんうちからデビューしてくれるのが
彼女を見つけた俺としても、一番嬉しい。
でも以前から俺の勘が言ってる。
彼女はこの道を選ばないって。
でも。
それでも。
可能性がゼロじゃないから
やっぱりどこかで期待してしまう。
♡)おはようございます。
谷)おはよう…ございます。
♡さんの自宅まで迎えに行くと…
いつものような元気がなくて…
こんな♡さんは初めてだ。
谷)昨夜はゆっくり休めましたか?
♡)……
急にLIVEでやる曲を選ばされて
その歌詞を覚えてって…
そりゃー寝れないか。
谷)本当に今回は急ですみません。
♡)いえ……
谷)体調は大丈夫ですか?
♡)はい。あの……
谷)ん…?
♡)着くまで…寝ててもいいですか?
谷)ああ、もちろん!いいですよ!
彼女はそう言うと
後ろの席でスヤスヤと眠りに落ちた。
やっぱり睡眠不足なのかな?
大丈夫だろうか。
M)なんか先輩、今日元気なくて…
谷)ですよね…
いつも眩しいくらいの笑顔で
笑いかけてくれる♡さんだから
そのギャップに心配になってしまう。
会場に着いても目を覚まさない眠り姫。
少しでも寝かせてあげたくて
俺はMさんと一緒に
先に挨拶と準備を始めた。
谷)これ、今日の音源です。
男)あいよ!
リノアちゃんは大丈夫かい?
谷)ああ、ええと…ハイ。
男)でもピンチヒッターの姫ちゃんって子も
めちゃくちゃ可愛いね?
楽しみにしてるよ!
谷)はい、よろしくお願いします!!
今までで一番広い会場。
今日このステージに歌姫が立つのかと思うと
楽しみすぎてゾクゾクしてしまう。
リノアには申し訳ないけど…
「実力のある奴にチャンスを与える。」
松浦さんがいつも言っていること。
松浦さんは♡さんの才能に惚れ込んでるから
彼女のためならいくらでもそういう場を
用意したいんだと思う。
もちろん、俺も。
昨日の彼女も、本当に素晴らしかった。
演歌を歌った時なんて鳥肌が立ったし。
いつも無邪気で可愛い彼女が
歌う歌によって一気にその表情を変えて
別人のようになる。
優しく包み込むような癒しの声になったり…
切なく歌い上げる情熱的な声になったり…
声色も自在に変わるし。
谷)ふぅ……
今日のステージも本当に楽しみだな。
ワゴンに戻って
新しく用意した衣装を取り出すと
ようやく♡さんが目を覚ました。
♡)あ……、
谷)おはようございますw
♡)もう…着いたんですね。
谷)はい。
♡さんは眠たそうに目をパシパシさせて
車を降りた。
谷)あの、これ……
♡)え…?
谷)今日の衣装です。
♡)えっ!私、持ってきてますよ!
谷)え?
♡)谷本さんがくれた、七色の…
谷)ああ。
俺が前にあげた七色のワンピース。
すごく可愛いし似合ってて
♡さんも気に入ってくれてるけど…
たまには違う衣装を着させろっていう
ボスからの命令なんで…
谷)また♡さんに似合いそうな
新しいワンピース見つけたんですよ!
M)可愛い〜〜〜!♡
谷)今日はこっちを着てもらえませんか?
♡)でも…
谷)気にしないでください。
今回は経費ですから。
♡)……ふふっ、わかりましたw
♡さんはやっと笑ってくれて…
♡)わぁ!可愛い♡♡
ワンピースを広げて自分にあてがうと
もっと素敵な笑顔を見せてくれた。
♡)すっごく可愛いです!谷本さん!
谷)はい♡
♡)嬉しい〜〜!♡
ありがとうございますっ♡♡
谷)ふふふw
良かった。
少しは元気になったかな?
新しいワンピースは
真っ白なレースに
淡いブルーの花が散りばめられた
夏らしいデザイン。
フェス映えすると思って一目で決めた。
谷)じゃあ行きましょうか。
♡)はいっ♡
衣装を抱えてニコニコな♡さんを連れて
関係者各位にご挨拶。
♡)おはようございます!♡
よろしくお願いします!♡
笑顔を振りまいて挨拶するのなんて
この世界じゃ常識だけど
♡さんの場合は
本当に相手をメロメロにしてしまうから
面白い。
男)谷ちゃん…
めちゃめちゃ可愛いじゃん、あの子///
谷)はいw
女)写真より実物の方が可愛いわね///
谷)ありがとうございますw
可愛いだけの子ならゴマンといるこの世界で
♡さんはやっぱり何か違うものを持ってる。
それからステージで簡単な確認とリハをして。
男)ちょ、めちゃめちゃいいじゃん!
あの子の声!///
谷)ふふふw
女)すごい子連れてきたわね!!
谷)はいw
ああ、本番が楽しみで仕方ない。
♡)谷本さん見てぇ♡
着替えた〜〜♡
控え室から飛び出してきた♡さん。
たまにこうして敬語が抜けて
フランクに甘えてくれるところも可愛い。
谷)似合ってますよ。
M)先輩可愛い〜〜〜!
♡)わーーいっ♡
彼女がふわりと回って見せると…
周りにいる人たちはその姿に釘づけになった。
人を惹きつけて視線を集めてしまう
これも彼女の天性の才能。
♡)もう一回歌詞を覚えておこうっと。
そう言って彼女はまた
控え室に戻っていった。
今回、♡さんはオープニングアクトで…
言い方は悪いけど前座的な感じ。
目当てのアーティストが出るまで
こんな朝早くから
会場入りしないお客さんもいる。
でも…
昨日松浦さんがあんな告知をしたおかげで
早い時間なのにいつもよりは
客席が埋まってる、かな。
昨日の夜、♡さんから送られてきた曲目は
切ない歌詞の曲ばかりで…
うち縛りにしたせいか?
いや、でも…明るい曲もいっぱいあるよな?
って…少し戸惑ったけど。
でもそういう歌の方が
彼女のギャップがわかっていいかもなんて
そのまま了承した。
オープニングアクトにしては
物悲しい世界観になりそうだけど。
ス)そろそろスタンバイお願いしまーす!
谷)♡さん、いいですか?
♡)はいっ♡
開演10分前。
ステージ袖から客席を見て
♡さんは俺の腕をパシパシ叩いてきた。
♡)谷本さん!すごくいっぱいいます!
谷)そうですねw
M)すごいすごい〜〜!
♡)わぁぁぁ……
谷)緊張しますか?
♡)えへへ、ちょっぴり///
谷)……//
可愛いなぁ。
男)おい、音源どうした!
男)さっきここに置いたはずなんですけど…汗
男)あと10分だぞ!
男)おかしいな…なんで…
男)どうしたんすか?
男)姫の音源がないんだよ。
男)えっ!!
ざわざわと騒ぎ始めるスタッフ。
音源がないって…
谷)あの…確かにお渡ししましたよね?
男)はい!間違いなく!
音源がなくなるなんて、聞いたことない。
男)おい!探せ!
男)はいっ!!
スタッフさんがみんな必死に探してるけど…
♡)ないん…ですか…?
M)うそ…なんで…
谷)くそ…っ
時間はもうあと5分。
今から用意するには無理がある。
男)どうすんだよ!
オープニングからこんなんで!
男)すいません!!!
音響担当のスタッフが怒鳴られた
その時だった。
♡)すみません、あの…っ!
男)ん?
♡)音、なくていいです!
谷)ええっ!!!
思わず、声を出してしまった。
男)なくていいって…
♡)ないものは…仕方ないし…
スタッフさん責めないでください。
男)…っ
仕方ないって…
どうする気なんだ?
♡)音がなくても…
普通に歌っていいんですよね?
♡さんはそう言ってニッコリ笑うと…
マイクを受け取って、白いワンピースを翻し
そのままステージに向かった。
谷)…っ
男)あの子…どうする気なんだ…?!
谷)あの…っ、キーボードとか
何かないですか?!
男)え?!
谷)キーボードがあれば…っ
♡さんが弾き語りできる。
今日は瞬くんもいないし
ギターで助けてくれる人もいない。
せめて…キーボードか何か…
客)ひめぇ〜〜〜〜!!
客)可愛い〜〜〜!!♡♡
♡さんがステージに出ると、
大歓声が彼女を包んだ。
スタッフみんなが固唾を飲んで見守る中、
♡さんは中央でピタッと止まると、
客席にペコリと頭を下げて
自己紹介をした。
そして…
♡)えっと…
私今日、音源を忘れてきてしまって…
アカペラで歌ってもいいですか?
そう言った。
客)え…?
客)アカペラ…?
ざわつき始める観客にも怯むことなく
彼女はニッコリ笑って。
♡)音がないから少し寂しいけど…
皆さんの頭の中で想像してくれると
嬉しいです♡
客)……///
客)……♡♡
♡)一曲目は『プラネタリウム』です。
知ってる人も多いよね?
客)大塚愛ー?
客)花より男子〜〜!!
♡)そうそう♡
ドラマの歌です♡
お客さんにも普通にレスポンスしながら…
♡)では、聴いてください。
そう言って、大きく息を吸った。
その瞬間に、静まり返る会場。
彼女が澄んだ声で綺麗に歌い始めると
一気にその場が歌の世界観に包み込まれる。
ああ…
歌い姿がすごく儚くて、尊い。
こういう雰囲気を作り出せるのも
歌い手の才能。
アカペラだから間の取り方が難しいはずなのに
そこも天性の感覚でやってのける。
本当にすごいな……彼女は。
清)うわーー、カッコイイなぁ……
谷)えっ…
清)ほんとにアカペラで歌ってる。
谷)……
♡さんに見惚れてる間に俺の横にいたのは
次に出番を控えた
back numberの清水さん。
清)俺、ギター弾いてもいいけど…
このままアカペラで歌う彼女も
見たい気しません?w
谷)え…っ
ニヤッと笑う彼を見ると、
清)地味に俺、彼女のファンなんですw
そう言って今度はニコッと笑った。
♡)〜♪行きたいよ 君のところへ
小さな手をにぎりしめて 泣きたいよ
それはそれは きれいな空だった♪〜
会場にはアカペラの彼女の歌声が
澄み渡る。
清)歌姫だなぁ……ほんと。
谷)……
本当に…綺麗だ。
♡)〜♪願いを 流れ星に
そっと 唱えてみたけれど 泣きたいよ
届かない想いを この空に…♪〜
彼女が一曲歌い終えると、
会場は再び大歓声に包まれた。
泣いてる人も何人かいて…
客)姫ぇぇ〜〜〜〜!!
客)姫がんばれ〜〜!!
♡)あっ!!
♡さんが一部を指さすと
ざわつき始める観客。
♡)会社の人たちが来てくれてるー!
客)姫〜〜〜!!♡
客)見に来たよ〜〜〜!!♡
客)姫ちゃん〜〜〜!!♡
♡)えへへ…///
私、普段は普通に会社勤めなんですが…
今日は会社のみんなが
見に来てくれたみたいです♡
みんなありがとーー♡
ワァァァ…!!
パチパチパチパチ!!
♡)ええと…次の曲なんですが…
清)じゃあちょっと行ってみますわ。
谷)あっ!
ギターを抱えてステージに向かった清水さん。
彼の登場に、観客はまた沸き立つ。
♡)えっ…!!
♡さんも目を丸くして驚いてる。
清)お姫さんが困ってるみたいなんで
来ちゃいましたー!w
♡)清水…さん…?
清)初めましてーー♡
ニコニコ握手をする清水さんに
♡さんはまだきょとんとしてる。
清)音源ないって聞いてね、
飛んできちゃったw
♡)ええっ!
清)ギターで良ければ弾きますけど
どうですか?
♡)わぁぁぁ♡
♡さんも観客も大喜びで…
清)前にさ、ギターで花火歌ってたでしょ?
♡)はい!
清)あれなら弾けるけど、どう?
♡)…っ、お願いします!!
清)よし♪
ざわつく会場に、
「俺だって三代目とかオシャレなのも
弾けるんだぞ」
と、冗談混じりに笑って
清水さんはスタッフが用意した椅子に
腰掛けた。
♡さんが目を閉じて深呼吸すると
また一気に静まり返る会場。
前回瞬くんとコラボした時と同じように
最初はドキッとさせられるような
アカペラから始まって…
メロから優しくギターが入ってくる。
ああ…どうしてだろう…
前回聴いた時よりも
ずっとずっと物悲しいのは…
♡)〜♪零れる火の粉はせつなさへと変わって
私の胸 熱く染めました♪〜
ワァァァァ……!!
パチパチパチパチ!!!
清)いや〜〜
綺麗な歌声だよね〜〜〜
一緒に歌いたくなっちゃうもんね。
客)あはははw
客)姫〜〜!
back number歌って〜〜!!
♡)ええっ!
客)歌って歌って〜〜!
清)いやいやいや!w
こんな綺麗なお姫さんが
僕たちの歌なんて知りませんからw
♡)え!知ってます!!大好きです!!
清)ええっ!
そのやりとりで、客席からの歌ってコールが
さらに強くなった。
清)なんか歌えるの…ある?w
♡)えっと…
清)歌詞わかんないよね?
一緒に歌う?w
♡)歌いたいっ♡
客)おおおおお!!!
♡)『ヒロイン』ならわかります♡
清)おおっと!
これはまた季節外れな…w
♡)はっ!ほんとだ!///
客)あはははw
清)まぁ今日はちょっと暑いしね!
冬の歌で涼しくなってみますか。
客)わ〜〜〜〜!!
そんな二人のやりとりに、
スタッフが慌てて清水さんの前にも
スタンドマイクを用意して…
清)これね、完全にぶっつけ本番だからw
みんな大目に見てね?w
そう言って二人は軽くキー合わせをして
歌い始めた。
♡さんが自信がなさそうなメロは
清水さんがリードして…
サビになると♡さんはニッコリ笑って
綺麗な歌声を響かせた。
♡)〜♪雪が綺麗と笑うのは君がいい
でも寒いねって嬉しそうなのも♪〜
完全にアドリブだったから
歌は一番で終わったけど、
観客は大喜び。
♡)楽しかったぁ♡
清)こんなおっさんが
お姫さんと一緒に歌っちゃって…
すいませんでしたw
大丈夫?俺ファンに怒られない?w
♡)あははは♡
男)ピアノ用意できましたー!
男)よし!急げ!!
谷)えっ…
ステージに運ばれたピアノと交代で
袖口に戻ってきた清水さん。
杉)お疲れさまでしたw
清)ああ、あれ杉くんのピアノか!
杉)はい!
清)じゃあ一緒にお姫さんの弾き語りを
見守りますか♪
谷)……
♡さんのピンチに駆けつけて
ピアノを貸してくれたのは
WEAVERの杉本さん。
♡)ピアノをお借りすることが出来たので、
最後の曲は弾き語りにしたいと思います。
客)わぁぁぁぁ!!
♡さんはそのまま曲のタイトルを言わずに
鍵盤に指を置いた。
また空気を一変させるオーラ。
彼女の本領発揮だ。
♡)〜♪とめどなく溢れる
涙を拭いて 歩き出す
少し迷った時は あなたの夢で眠ろう♪〜
♡さんがなぜこの曲を選んだのか
わからなかったけど…
♡)〜♪もっと大好きだと素直に
言葉にすればよかった♪〜
きっとこの曲が
♡さんが一番歌いたかった歌なんだって、
わかった気がした。
♡)〜♪会いたくて 会いたくて 空見上げた
恋しくて 恋しくて うつむき深呼吸した
あなたもどこかで
滲む夕陽を眺めてるの?♪〜
ああ…
彼女の歌には色がある。
匂いがある。
その景色を五感で感じられるような
透き通った歌声。
♡)〜♪愛しくて 愛しくて その笑顔が
触れたくて伸ばした手
あなたに届く日まで
冷たい風が吹いた 迎えに行くよ
だからきっと待ってて
迎えに行くよ 夜が近くなる前に♪〜
すべてを歌い終えた歌姫は、
大歓声に包まれながら裏に戻ってきた。
♡)…っ、杉本さん!!
杉)お疲れさまです。
♡)ピアノ…っ、ありがとうございました!!
♡さんは杉本さんと握手をして
そのまま彼に抱きついた。
杉)えっ、あの…っ///
♡)本当にありがとうございました!!
杉)は、はいっ///
清)お姫さん、良かったよ〜〜
最高だったよ!
♡)清水さん!!
清)お疲れ〜〜〜
清水さんが両手を広げると
♡さんはそこにも無邪気に飛び込んだ。
♡)ありがとうございましたっ!!
清)あはははw
谷)……
なんていうか…
本当に無垢な人だな。
杉)あの…、歌本当に良かったです。
素敵でした。
♡)大事なピアノ…貸してくださって…
本当に感謝しています。
杉)いえ、お役に立てて何よりです。
その言葉に、♡さんがまた
無邪気な笑顔を見せるから…
杉)////
杉本さんも照れてる。
杉)あの…もし良かったら…
♡)え?
杉)今度…うちのミュージックビデオに…
清)ああーー!!
それ俺も言おうとしてたやつーー!!
杉)ええ?!w
清)MV出て欲しい!!
♡)ええ!!!
杉)なんか…イメージにピッタリで…
清)そう!
♡)…っ
突然の二つのオファーに
♡さんが戸惑っていると…
M)もちろんお受けいたします〜〜!
ありがとうございます!♡♡
Mさんがすかさず名刺を渡した。
杉)じゃあ本当に連絡させてもらいます。
M)いつでもお待ちしております♡
清)こっちも!よろしく!
M)喜んで♡
♡)ありがとうございました!!
挨拶を終えて控え室に戻る途中、
興奮冷めやらずご機嫌なMさん。
M)すごいすごい!♡
back numberとWEAVERのMV!
♡)びっくりしたぁ…
M)西野カナに続いて
仕事が増えていく〜〜♪
谷)え!西野カナ?!
M)はい♡オファー来たんですよ〜〜
谷)えええ!!
なんか…
俺の知らないところで
どんどん話が進んでる。
M)先輩、本当にすごかったですよ!
ピンチをチャンスに変えるって
ああいうのだなって思いました!
♡)清水さんと杉本さんのおかげだよーー
M)でもあの二人に
助けてあげたいって思わせたのは
先輩の力だと思いますよ?
♡)……
谷)……
いいこと言うな、Mさん。
どれだけ周りを味方につけられるか、
そういうのも人間力のひとつ。
谷)とりあえず着替えて一旦休みましょう。
お疲れさまでした。
♡)はい♡
その時だった。
ガシャーン!!
谷)えっ……
♡さんの控え室から聞こえた物音。
M)何今の音……
Mさんがそのドアを開けると…
中にいたのは…
谷)リノア?!
リ)…っ
顔を真っ赤にして泣いているリノアだった。
♡)え…、どうして…っ
床に叩きつけられていたのは、
俺が音響に渡した音源。
谷)リノア…お前……
まさか…
リ)何なの?!あんた何なのよ!!
パシーーン!!
M)ちょっと!!
先輩の顔に何すんのよ!!!
パァン!!
リ)……ッ
なんだ、これは……
リノアが♡さんの頬を叩いて、
Mさんが叩き返して…
♡さんを庇うように
その前に立ちはだかっている。
リ)あたしが今日のステージ、
どれだけ楽しみにしてたと思ってんの?!
♡)…っ
リ)ちょっと可愛いからって…
調子に乗んないでよ!!
谷)やめろ、リノア!
リ)なんなの!?
松浦社長と寝たわけ!?
なんであんたばっかり
特別扱いされんのよ!!
谷)リノア!!
リ)谷本さんも何よ!!
谷)…っ
リノアの鋭い目が、俺に向いた。
リ)売れたきゃ周りを蹴落としてでも
這い上がれって…
松浦さんがいつも言ってることじゃん!
谷)……
リ)だから邪魔してやったのよ!
あたし何か間違ってる!?ねぇ!!
谷)…っ
リ)歌えなくなれば良かったのに!!
♡)…っ
リ)あんたなんて歌えなくなれば
良かったのに!!
M)ちょ、やめなさいよ!!!
♡さんに掴みかかろうとしたリノアは
Mさんにまで殴りかかりそうな勢いで、
俺は慌ててそれを止めた。
リ)何みんなにちやほやされて
のんきに歌ってんのよ!!
谷)リノア!
リ)あんたなんて最低!!
人のチャンス奪ってまで
ステージに立ちたかったの?!
谷)リノア、違う!
リ)あんたなんかいなくなればいいのに!!
谷)リノア!!!
細い手首をギュッと掴むと、
リノアは泣きながら俯いた。
♡さんはショックを受けたように
言葉を失っていて…
ああ、最悪だ。
ピロリロリロ♪ピロリロリロ♪
谷)……
このタイミングで、松浦さん。
谷『はい、谷本です。』
浦『谷ちゃんおつかれ〜〜!w
なんかハプニングあったみたいだけど
最高じゃん〜〜』
谷『……』
ちょっと今それどころじゃ…
浦『今まだ会場?
♡連れて早く戻ってこいよ!』
谷『今、リノアも一緒です。』
浦『はぁ?リノアー!?
んなとこで何してんだ。』
谷『……』
浦『まぁいいや、じゃあリノアも
連れてこいよ。』
谷『…わかりました。』
そのまま電話を切って…
重たい空気の中、
俺は3人を乗せて車を走らせた。
M)先輩、反響すごいですよ!
SNSでいっぱい載ってる!
Mさんは♡さんを励まそうとして
声をかけるけど…
リ)うるっさいわね!
M)はぁ?!
うるさいのはそっちでしょ!
黙ってなさいよ!
リ)は?
M)先輩の顔、叩いたこと…
一生許さないからね!
リ)ふん、馬鹿馬鹿しい。
M)このクソガキ!!
Mさんとリノアはさっきからこの調子で
一触即発。
車内はずっとピリピリしていて…
……
…
__コンコン。
谷)失礼します。
松浦さんの部屋に入ると、
この重たい空気なんて知る由もなく
満足そうな笑顔が俺たちを待っていた。
浦)お〜〜〜お疲れお疲れw
まぁ座れよ。
一応、報告義務があるし…
今日のことを説明すると…
松浦さんはそれを笑い飛ばした。
浦)♡がアカペラだったの、
お前のせいだったのかよw
リ)あたし、謝りませんから!
浦)いや、いんじゃね?w
おかげで恐らく予定より
いいステージになったわけだしw
結果オーライっしょ。
リ)…っ
浦)お前のその根性とガッツは
俺もわかってっから。
とりあえず今日は帰れよ。
リ)……
松浦さんにそう言われて
リノアはそのまま頭を下げて
部屋を出て行った。
浦)災難だったなぁ、♡〜〜w
♡)……
あああ…
松浦さん…
♡さんほんとショック受けてるから
空気読んで…!
浦)で、どうだった?今日のステージは♪
♡)……
浦)エゴサしたかー?
すごい反響だぞ〜〜〜w
♡)……
浦)大きなステージで歌うのは
やっぱり気持ちイイだろ?
♡)……
浦)もっと歌いたくなったろ?
だからお前にはこれから…
♡)松浦さん。
浦)……っ
強引に話し進める松浦さんを、
♡さんが止めた。
♡)私、歌はやりません。
浦)……は?
♡)お返事遅くなって…すみませんでした。
浦)ちょっと待てよ…っ
♡)私、歌でお金を取りたくないし
歌を仕事にしたくないです。
浦)…っ
♡)誰かを邪魔したり蹴落としたり、
そういう戦いの中で
這い上がっていきたいと思えるほどの
野心も向上心もないです。
浦)…そんなもん…
お前にはなくたっていいよ。
♡)私はただ…
私が歌うことで、少しでも多くの人が
笑顔になってくれたら…
それだけで嬉しいから…
浦)だったら歌えよ!
もっと多くの人に聞いてもらえるように…
♡)仕事としては歌いたくないです。
浦)……
二人の話は平行線で…
俺とMさんは口を出すこともできない。
浦)いいか?お前は天才なんだよ。
お前の歌を求めてる人間はたくさんいる。
♡)……
浦)別に悪どい金儲けをしろって
言ってるんじゃない。
でも才能は金になる。
ビジネスになるんだよ。
♡)……
浦)もったいな…
♡)上手く言えないけど…
何か違うって思ったんです。
浦)……
♡)……
浦)リノアのことは…悪かったよ。
俺が無理矢理…
♡)それだけじゃなくて…
浦)え…?
♡)今日のことだけじゃなくても…
私なりに、歌のお仕事について
考えてみたんです。
浦)……
♡)……
谷)歌が嫌なわけじゃなくて…
「芸能界」という場所で歌うのが
嫌なんじゃないですか…?
♡)……っ
♡さんはハッとして俺を見た。
やっぱり、これが♡さんの答え。
♡)嫌とか…否定してるわけじゃなくて…
ただ私には向いてないと思うんです。
浦)そんなこと…っ
♡)せっかくお話いただいたのに
すみません。
浦)…っ
♡)今日のステージは、
純粋に楽しかったです。
浦)……
♡)本当にありがとうございました。
浦)……
♡さんはそのまま深々頭を下げて、
Mさんと一緒に部屋を出て行った。
浦)……
谷)……
社長の悔しい気持ちもわかる。
でも、♡さんの気持ちもわかる。
浦)なんで上手くいかねんだろなぁ……
谷)……
強引に進めた結果、それが裏目に出て
宝物を逃してしまった。
浦)他に取られたならわかるけど…
そうじゃない。
谷)……
浦)あいつだって気が変わるかもしれない。
谷)……
浦)気長に待つよ…
谷)……
待てるなら待ちたい。
俺も松浦さんも、諦めが悪いな。
浦)仕方ねぇよなぁ……
松浦さんは大きく息を吐いて、
浦)こーゆーのって、惚れたもん負けだろ?
そう言って、困ったように笑って見せた。
ー続ー
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